呉屋 徹(ごや とおる)
出身地 | 沖縄 |
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居住地 | 鹿児島市大竜町 |
生年月日 | 1979年2月7日 |
国家資格 | 理学療法士 オステオパシー国際認定学位 D.O.(Diploma of Osteopathy) |
経歴 | H15年 沖縄リハビリテーション福祉学院 卒 H17年 鹿児島大学医学部 理学療法専攻 卒 H31年 日本トラディショナルオステオパシーカレッジ(JTOC)卒 |
所属 | 日本オステオパシープロフェッショナル協会(JOPA)内臓講師 日本オステオパシー教育機構 所属 |
家族構成 | 妻と子ども4人 |
趣味・特技 | お酒、空手、家族旅行、ストレッチ、ロードバイク |
当院の理念
1、辛い症状を解決し、健康でその人らしく安心で明るい生活を送っていけるようサポートする。
どこ行っても改善しない辛い症状を抱え困っている方に対して、オステオパシーの技術・概念を用いてお悩みの解決に努める。そのために技術研鑽に励み、謙虚に学び続ける。
1、健康について正しい知識を広め、地域の活性化に寄与し、社会貢献に努める。
施術を通して仕事や家事、子育てや好きなスポーツ、親の介護、地域コミュニティの参加などやりたい活動が思いっきりできる体をサポートすることで地域の活性化に寄与し、医療費の削減など社会貢献の一役を担う。
1、感謝の念を忘れず、また感謝される人間性を養う
自分を取り巻く環境に感謝し、家族、友人、地域に感謝の念を忘れず、また誰からも感謝されるような人間性を養う。
自己紹介
初めまして。この度、鹿児島市で不調改善への第一歩、また一人一人を大切にしたいという思いを込めて鹿児島オステオパシー整体院Oneを開院いたしました呉屋 徹と申します。
理学療法士の頃、痛みを抱えている方の施術をするも思うような結果が出ず、悔しい思いをしていました。
そんな頃、オステオパシー医学に出会い、私の人生は大きく変わりました。
これからは、オステオパシーを通して皆さんの人生を変えられるような施術を目指して精進してまいります。
どこ行っても改善しない方、治らないと思って痛みを抱えている方、ストレスを多く抱え不調を我慢して生活している方の施術を通して、明るく安心な日常生活が送れるようサポートさせていただきます。
悩みが解消されることで、仕事や家事、スポーツ、子育て、孫のお世話など、やりたい事が出来、人生が豊かになっていく。そんな施術が出来るよう、心込めて施術させていただきます。
この治療家の道を目指したきっかけ
私は沖縄で理学療法の専門学校卒業後、地元である沖縄に就職するか、県外に出て大学へ進学するか悩んでおりました。一度は地元の沖縄から出て、勉強したいという気持ちが強かったため鹿児島の整形外科で働きながら、研究が出来る環境に惹かれ、鹿児島大学で研究する道を選びました。
仕事をしながら、大学へ通う生活は大変なことだと予想しておりました。しかし、自分自身の時間が自由に調整でき、やりたい事は何でもない出来たため、楽しい学生生活を送ることが出来、人生でなかなか体験することができない有意義な時間を過ごすことが出来ました。
一方、仕事の面ではこれで沢山の人を治すことが出来るぞ!と理学療法士の仕事に対し、希望に満ち溢れていたのを覚えています。
いくつものセミナーを受けながら、これを何年か続けていればきっと良い施術家になれる!痛みで困っている人を救うことが出来ると信じ切っておりました。しかし、実際に人を治すというのはそんな甘いものではありませんでした。
セミナーを何年も受け続けていく中で、不調は一時的には改善するものの、その効果は持続せず、2、3日後にはまた痛みが再発してしまう。私が目指していたような施術の結果は得られませんでした。思うような結果が出ず、自分自身のやってきたことに対して自信を持てなくなっておりました。
なかなか結果の出ない施術をしている中で、より効果の高い施術はないのだろうか?と他の施術手技を模索し始めました。そんなとき、JOPAの主催しているオステオパシーのセミナーに出会います。
今までのセミナーとは違い、膨大な解剖学の知識と磨き上げた繊細な感覚で体を劇的に変化させる施術を見て、自分が探し求めていた施術はこれだ!と確信しました。
それからは、オステオパシーを勉強すべく、協会の本部がある関西に家族で移り住むことになります。人生を懸けてオステオパシーを勉強しようと、オステオパシープロフェッショナル協会の本部メンバーとして加入させていただくことになりました。技術を磨き、平日を使って臨床トレーニングに参加したり、海外講師のセミナーに参加したりとオステオパシー漬けの毎日を送ってます。
開業へ至った経緯
オステオパシーを学び始め、自分の信じた施術で不調で悩む方を改善し、たくさんの人を笑顔にしていきたい!そう思うようになっていました。
勤めている病院では痛みのある部位のみの施術を中心にしなければならず、また一人にかける施術時間はどんどん削られていきました。
本来自分が目指していた施術が出来なくなっていました。自分の信じたオステオパシーの概念と技術で「つらい不調で困っている人を助けたい」「根本的に施術することで痛みは改善する」そう強く思うようになっていました。
病院で働いている中でも「整体は高くて通えない・・・」「週に何度も通えない・・・」そんな声もよく耳にしていました。また治らないのに、言葉巧みに何度も通院させる整体が増えているという声も聞かれました。
しかし、オステオパシーの概念を持って、根本的な施術をすれば、週に何度も通院しなくても不調は改善していく!そんな思いで、平成29年4月、伊丹市でオステオパシー整体院 Oneを開院いたしました。
悩んでいる不調が改善され、やりたい事が出来る様になり、安心した明るい生活が送っていける。来院のたびに笑顔になっていく。施術家として不調が改善された方の笑顔を見れるのは、やりがいを感じる最高の瞬間です。
オステオパシーによって辛い不調で悩む人のお役に立てるよう、これからも人生をかけて取り組み続けていきます。
鹿児島での整体院開院
痛みで悩んでいる方を治してあげたい!と関西で整体院を開院してから4年が経過していました。この時、鹿児島から関西に移り住んで10年が過ぎようとしており、当時2歳だった長女も中学入学を迎えようとしていました。
これから先の人生をどうするするのか?と考える機会なりました。このまま関西での生活を続けていくのか?それとも妻の故郷でもある鹿児島に帰って新しい生活をするのか?
大学時代に8年間住んだ鹿児島は肉・魚・野菜、どれをとっても美味しく、また山・川・海と自然が多く子育てにはすごくいい環境だと思っておりました。これからの人生を考えた時、築き上げた今の安定をとるのか?好きな土地である鹿児島に戻るのか?すごく悩みました。
ちょうどその頃、オステオパシーを一緒に学んでいる仲間が伊丹の整体院を引き継いでくれるという有難いお話を頂きました。
子どもの子育ての環境、これからの人生を考え、今の安定よりも家族にとって良い環境である鹿児島に帰ることを選びました。好きな鹿児島、歴史ある鹿児島で大好きな治療が出来ることに感謝し、鹿児島の皆さんを元気に、鹿児島から日本を元気に出来るよう精一杯施術させて頂きます。
整体院への想い
オステオパシーを通して、地域の皆様に健康を提供し、痛みを抱え悩んでいる方を辛い日常から解放し、オステオパシーを広めるとともに、今後何十年、何百年と続く信頼される整体院を築くことが私の使命です。
施術を通して、鹿児島の地域の人を元気にし、体の不調や痛み、しびれで悩む人の期待に応え、最後の砦となれるよう、一人一人を大切に施術させていただきます。